週末の金曜日。この一週間は初夏を思わせるような汗ばむ陽気が続く日々が続き、街は桜のピンク色から新緑の緑へと早足でその色彩を変えていった。

こぐれの里では様々なエピソードに奔走する職員を傍らに、のんびりとお茶をすするご利用者様がいる平穏な一週間がようやく終わりを迎えようとしていた。

誰しもがこのまま平穏な週末を迎えると信じ始めたその時、その期待は砂上の楼閣のようにもろくも瓦解した…ある職員の足音と共に。

 

Lユニットの職員が息を切らせて事務所に駆け込んできた。「先ほど外出から帰ってきたSさんの義歯が見当たりません!!」と彼女は興奮と失意の感情を必死に抑えつつなんとか相談員にそこまで伝えると、その肩に乗せてきた重みから解放されたようにその場で脱力してしまった。

いつものように緊急招集によるこぐれ捜査班が動員された。これまでも数多の貴重品が行方をくらまし、その度に多職種による精鋭の捜索隊が編成されてきた。ゴミや芥と共に回収される物、水洗便所に流し去られる物、他者の物にいつの間にか紛れ込む物、その行くへは様々であり、ある物は持ち主のもとへと戻され、ある物は失われてきた。

今回も捜索は難航した。S様の身辺は勿論、居室の洗面台、ゴミ箱、使ったタオル類を回収した袋内、トイレ、仲の良い他ご利用者様の身辺、至る所を捜索するも見当たらず職員にも徐々に焦りの色が見え始めてきた。そんな中で職員の脳裏では、義歯は外出先で失われたのではないのかとの疑念が占めてきた。

一緒に外出されたご家族様にも改めて外出に使った車中の捜索や外出先での情報提供を依頼したが、車の中には見る影もなく外出先から戻る前に水を飲んだ際に白く輝く義歯を目にしていたのことだった。

デッドラインの近づく夕刻、職員も諦めかけたがもう一度初心に戻り何度も探したS様の周辺捜索に立ち返った。

外出から戻られてからの足取りをもう一度確認し、居室で休まれていたという情報をもとにベッド周りを捜索することにした。枕の下、シーツの下、ポータブルトイレの中、こんなとこにあるはずもないのに…と思いながらも、思いつく限りの品々を持ち上げ、ひっくり返していくうちに怪しく口を閉じたそれに近づき、その口をおもむろに開いた。

義歯の入った眼鏡ケースをS様の前に差し出すと「ああ、そうだったわ、ごめんなさい!」と歯なしの口で闊達と笑うその顔には無垢な少女のような面影を読み取り、職員はささやかな自分の仕事に誇らしさを感じた。

「本当に助かったわ。あなたになんてお礼をすればいいのかしら」と義歯がもどった口元に笑みをたたえたS様は仰られた。

「報酬はもうすでに頂きました。あなたのその笑顔で。」と職員はS様に伝え、静かにその場を後にした。

(一部を除きこのエピソードはノンフィクションです。)